もち苺枕草子





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♀oogle :: 2012/03/08(Thu)

一瞬何かわかりませんでしたが、
相変わらずGoogleのロゴに楽しませてもらっていますw

WomensDay-2012-hp.jpg


国際女性デー名前は知っていても、いちいち意識してる人は少ないんじゃないでしょうか。
3/8はそんな日らしいです。

過去(一部では現在も)に女性が人間扱いされなかった(人権がない)のはとても複雑な問題だと感じます。
同じ人間として生まれ、YとXの違いで恐ろしい程の差別をされるなんて、
やはり正されるべきだったのではないかと思うんです。
ただ以前も書いたような気がしますが、優遇しすぎについては異議ありません。

女性は解放を求めてデモを起こし、それに同調した男性も動き出して大きなデモになり、
それが国の崩壊や変革に繋がった。
これは普通の流れじゃないかと。

だからといって女性と男性がそれで同じ立ち位置になったかというとそうではなくて、
もともと-100だった女性の地位が-50くらいになっただけだったり、
-10くらいまでになったりそのくらいだったんじゃないでしょうか、当時は。

でも今日本で過ごしていればどれだけ女性が恵まれているかは誰でもわかるはずです。
よく言われるのはレディスデー。
女性がいると安くなりますとか、女性限定で安くなるとか、これはよく差別にあげられますよね。

店としては女性客を呼ぶための手段だったりで差別意識なんてないんでしょうけど、
どちらかの地位をあげればどちらかの地位が間接的に下がるのは当たり前のことです。

改革の一番のところは、平等にすることなんでしょうけど、
ホントの平等なんてものは私はないと思っているので、
結局今まで虐げられていた側、下だった側の状況を改善、緩和することで
「前よりよくなったでしょ」ということしか出来ないんじゃないかと。
でも逆サイドからしてみれば、今まで自分たちよりもずっと下だったものが
突然自分たちに近くなって、
しかも偉そうに聞こえるような発言なんかしてきたらそりゃカチンときますよね

だから今日は平等はあって当たり前でなく、
この平等がなりえたのも女性だけの力ではないってことを改めて思いました。

女性だけだったら潰されて終わってたと思う。
でもそんな中で平等を考えてくれる男性がいて、
その力添えで女性は今の地位を手に入れられている。
遅かれ早かれなったかもしれないけれど、
今生きている私たちが恩恵受けられてるのはその人たちのおかげじゃないでしょうか。

同じ土俵で生きることはでないけれど、
同じ人間なのだからバランスをとっていかないといけないんでしょうね
個々レベルの好き嫌いはなんでもないですが、
社会問題にするようなものの調整は本当に難しいことだと思います
だから一概にフェミニスト、反フェミニストが提言するような事が
現在のホントの問題かっていうとそうじゃない部分も多い気がします。
(っていうかフェミは理解できないのが多すぎる…)

(話それますが、中学で男女平等ってなんだっていうのを授業でやって、
皆で身の回りになる男女差別を探そうとかいう内容でした。
どんな内容だよと今でこそ思いますが、めでたく男女差別探しがはじまりはじまり。
ちなみに私は書記係だったのでひたすらメモるだけの簡単なお仕事。
こういう役員的な役割は司会や会計みたいな面倒なのにならなければ、
意見求められないし、結論がどうなっても中立立場だしとても楽だと思うw

こうなると女子は強い。次々と女子が不利な事を発言してまくし立てていく。
一方男子から出たのは「持久走とかの距離が短いのは差別」とか
「デートで男が出すのは差別」「女子トイレは広くてずるい」とか。
そうして男子が女子の優遇を指摘すると「そんなこといったら男子なんかうんたら〜」
と話をぶったぎって反論。
どこぞの政治討論番組並のgdgd進行で結局「女子は沢山差別されている」でいとふゆ。
圧倒的に口達者な女子がその発言力と声の大きさ、時にはヒステリーで授業を仕切る様子は、
まさに男子が虐げられる図そのもの。
最後にブチ切れた男子が
「お前ら調子のってると犯すぞ」とか危ない発言をしたのもいい思い出。)


でも最終判断はどっちが謙虚かで決まる気がします。
要するに優遇された方がワガママ、不利な方が謙虚って感じでw


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  1. 枕草子
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本とはなんぞや :: 2012/03/06(Tue)

先日お客さんと雑談していたら、
「うちの子全然本を読まないのよーテレビでアニメ見るかゲームするか、
マンガ読むか、ケータイ弄るかばっかりでね〜」
なんて話になりました。

テレビもマンガもゲームもケータイも面白いでしょうが、
私は小学校中学校高校くらいのうちは外でいっぱい遊ぶの推奨派なので
それ以外のことして遊ぶのも結構楽しいと思いますけどね〜なんて話をしました。

でもそもそ「本を読む」って何を指してるんでしょうか

あくまで個人的な考えですが、私の中では「本」に小説は入りません。
勿論便宜上今なんの本読んでんのー?って言われたら
小説の○○みたいに答えたりとかはありますけど、
小説は本ではないという感覚です。

本ていうのは出典が明らかで、「知識」として成り立つものだと思うんです。
例えば小説のシーンでフランスのモンサンミシェルが出てきて、
その景観やつくりや歴史が出てきたとします。
大方の場合それは正しい情報でしょうが、無論全部が全部そうなワケではなく、
小説は娯楽であり芸術のひとつだと思うので、
色気みたいなものがないといけない気がするんです。
だから「この物語はフィクションです」なんて書かれたりするんですもん。

一番ダメは本を読まないことよりも、
事実か虚構か分からない知識をそれと思い込んで知識披露しちゃうこと。
無実無根の情報をこれぞとばかりに言っちゃうこと。
私もついつい「○○ってこうなんだってー!」なんていっちゃいますが、
これもホントはよくない。

本当の教養というのはその事実の真偽を確かめるべく
出典元をたどり、時代背景やかれこれの知識を統括して
最終的な答えを自分で出すことではないでしょうか
といっても、そんな面倒なことをいちいちするわけもないので、
そこで役に立つのが本なワケです。これがホントの本じゃないでしょうか。

小説は作り物の世界で、資料は作り物ではありません
(勿論、資料でさえ誰かの手が入り捻じ曲げられてるものは存在しますが)

本を読め、という人は何を指しているのが大抵が具体的でない気がします。
本を読めといったわが子が、東野圭吾や村上春樹の小説を手にとったら満足なのでしょうか。

私はそこから真の教養は生まれないと思います。
小説を否定しているわけでも、マンガを否定しているわけでもありません。
ただ本は心の栄養とかおっしゃる人は完全に本=小説ですよね。
小説から人のあたたかみや、優しさ、時には厳しさなんかを勉強してくださいねっていう。

知識だけが並べられた本から
人の感情を読み取っていくのは一朝一夕のことではないと思います。
それが少しでも分かったときは最高に嬉しかったりロマンを感じたりしますけどw


小説は小説、マンガはマンガ、本は本。
どれがなくなっても困るし、全部あれば最高じゃないですか。


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一時帰宅 :: 2012/03/02(Fri)

明日お父さんが一時帰宅してきます
3ヶ月ぶりに家に帰ってきてどんと会って、なんかお菓子を作るとか言ってるみたいです。
自分は勿論食べられないのに。

日が明確でなかったのであわせて休みが取れず、私は仕事いかないとですが、
帰ってきたときに父がいたら凄く嬉しい気持ちになれそうで少し明日が楽しみです


  1. 枕草子
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